撮影現場の真ん中で、銀色の脚立の上にひとりの男が立っている。スニーカーに緑のワークジャケット姿のヨルゴス・ランティモスだ。彼は忙しく動くスタッフの向こうにいる誰かと目を合わせようとしている。探しているのは、あるひとりのレンズ。誰もが「ジマ(Jima)」と呼ぶ写真家、Atsushi Nishijimaのカメラである。
いるのに、いない人
「現場にいるけれど、いない人のように、です」。ジマは自分の立ち位置をそう説明する。「かといって、完全に消えるわけでもありません」。ランティモスはもう何年も、この物静かな日本人写真家を自分の現場に呼び、映画ができていく過程を記録させてきた。『聖なる鹿殺し』、『女王陛下のお気に入り』、『哀れなるものたち』、そして『憐れみの3章』まで。
スチールフォトグラファーは不思議な仕事だ。映画の内側にいながら、映画には写らない。皆がスクリーンの中の世界を作っているあいだ、ひとりだけその世界の外側の面を見ている。ジマの写真がおもしろいのは、その外側の面への向き合い方にある。彼は宣伝用のスチールにとどまらず、映画を作る人たちの労働を記録する。
静岡からニューヨークへ
ジマは静岡の海沿いの町で生まれた。10代で初めてアメリカを訪れてそのスケールに魅了され、ブルックリン・カレッジで写真を専攻した。卒業後は、リチャード・アヴェドンの元アシスタントが立ち上げた写真ラボ、シルバーワークス(SilverWorks)で働いた。アーヴィング・ペン、スティーヴン・マイゼル、スティーヴン・クライン、アニー・リーボヴィッツ。そこの顧客リストである。「そういう環境で、写真への憧れが育っていきました」。
プロとして最初の仕事は企業ドキュメンタリーのスチールで、その中にはナイキのバスケットボール映画もあった。「スポーツ写真はふつう望遠レンズに頼りますが、若くてやる気にあふれていた私は、近づかなければ撮れないフィルムカメラで撮ることにしたんです」。遠くから引き寄せるのではなく、被写体にぴたりと寄ってフィルムに収める。のちに彼のトレードマークとなるやり方は、このときすでに始まっていた。その後、デレク・シアンフランスの『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』でライアン・ゴズリングとエヴァ・メンデスを撮って映画の現場に入り、イニャリトゥ、バリー・ジェンキンス、エヴァ・デュヴァーネイの現場にも彼のカメラがあった。
飛行機から始まった縁
ランティモスとの縁は、偶然に近い。ジマは飛行機の中で、何の予備知識もなく『ロブスター』を観た。そしてそのすぐ翌日、監督のプロデューサーから電話を受けた。『聖なる鹿殺し』の現場に来てもらえないかという誘いだった。
何本もの作品を共にしたいま、ふたりの関係は友情に近い。ランティモスはジマが住むニューヨークに来ると、「ランチどう?」といったメッセージを送ってくる。「どんどん忙しくなっているのに時間を作ってくれるんです。写真や仕事の話だけじゃなく、この服買おうと思うんだけどどう、最近日本の家族とは連絡取ってる、なんてことを聞いてくる。そういうことに気を配る人なんです」。オスカー候補になった監督にも、服装を見てくれる目の利く友人のひとりくらいは必要なのだ。
1メートルと2メートルのあいだ
ジマの写真を読み解く鍵は距離である。彼を取り上げた英語の記事のタイトルが「スターから3歩の距離(Three Feet From Stardom)」だったのは、誇張ではない。
「私は遠くから撮るより、被写体から1、2メートル以内で撮るのが好きです。難しいのは、テイクの合間に監督と俳優が小声で話しているとき。割り込めませんから。その空間に入っていけるかどうか、それが試されるんです。もしかしたら日本の文化が役に立ったのかもしれません。日本の集合住宅で育って、両親からは下の階の迷惑にならないよう静かに歩きなさいと言われていましたから」
その慎重な距離から、彼は映画を作る人間の労働をやさしくすくい取る。『女王陛下のお気に入り』の撮影中のことだ。「テイクの合間、エマ・ストーンがソファで目を閉じて横になり、休んでいました。そっと近づいたら彼女がふいに目を開けて、私はその瞬間にシャッターを切りました。エマの素の姿が写っているので、いちばん好きな写真のひとつです」。カットとカットのあいだ、俳優がしばし自分の考えの中へ引きこもるその隙間に、映画を作る人たちの隠れた顔が現れる。
フィルムという物質
この距離の感覚は、媒体にもつながっている。『哀れなるものたち』はデジタルではなく35mmフィルムで撮影された。撮影監督のロビー・ライアンは最初の30分ほどをモノクロフィルムで始めて徐々に色をのせ、その多くをエクタクローム・リバーサル特有の、非現実的に沸き立つような色で染めた。なめらかなデジタルではなく、粒子と質感を選んだ世界。この映画のシュールさは、フィルムという物質の上ではじめて夢のように見える。
そのそばでジマが手にしたカメラも、やはりフィルムだった。撮影現場のメイキング写真の中で、彼は中判フィルムカメラのプラウベル・マキナ67(Plaubel Makina 67)を目に当ててシャッターを切っている。6×7判に80mmの単焦点レンズがひとつ、1本で10枚しか撮れない蛇腹式のレンジファインダーだ。マキナだけを使っているわけでもない。彼はいくつものフィルムカメラを持ち替えながら、いくらでもシャッターを切れるデジタルではなく、1枚1枚により慎重になれるほうを選ぶ。監督がフィルムで映画を撮るあいだ、そのそばの写真家もまたフィルムの上に瞬間を刻んだ。
種明かしをする写真
ランティモスの映画は、人間のいちばん底にある欲望と恐怖を無表情にのぞき込む。スクリーンの上に物語があるなら、その映像を生み出す人の労働も別にある。ジマがとらえるのは後者だ。
たとえばこんな1枚。『哀れなるものたち』の撮影中、ランティモスが外洋客船の甲板に座り、主演のエマ・ストーンの話を聞いている。ガウン姿の彼女は横顔しか見えないが、口元にはかすかな笑みが浮かび、作業着(やはりスニーカー)姿の監督は彼女を見上げている。木の甲板の上を、ケーブルが蛇のように這っている。手品の種を明かしてみせる写真だ。けれどそれは幻想を壊すのではなく、その幻想を可能にした本物の協働を見せてくれる。
もしかすると、その協働の芯は食べ物のようなささいなところにあるのかもしれない。『憐れみの3章』を撮っていたニューオーリンズで、ジマとランティモスは行きつけになるベトナム料理店を見つけた。「ヨルゴスとバインミーを買って一緒に食べました。たぶんそれが、私にとっての1、2メートルの関係なんです」
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残るもの
映画の幕が下りれば、動きは消える。残るのは記憶と、1枚の写真だ。私たちが『哀れなるものたち』を思い出すとき頭の中で止まる映像は、ひとりの監督の想像と、そこから1、2メートル離れた場所で静かにシャッターを切ったひとりの写真家の目が、10年近く呼吸を合わせてきた結果である。
監督が世界を建てるなら、そばの写真家はその世界のいちばん正直な1枚をすくい上げる。いるのにいない人のように。けれど決して完全には消えない場所から。
出典
SSENSE, "Atsushi Nishijima Is Three Feet From Stardom" (Reiko Suga, 2024) のインタビューをもとに再構成。引用はこのインタビューの翻訳。
SSENSE 原文 ↗ · Atsushi Nishijima 公式サイト ↗ · Screen Daily、ロビー・ライアンのインタビュー ↗