写真を習うと、まず「やってはいけない」と教わることがある。水平を崩さないこと。ピントを外さないこと。人を中途半端に切らないこと。Lee Gap-chul の写真は、その禁止リストをわざと踏みつけて通り過ぎる。それなのに、その揺れの中から、うまく説明できる場面よりも長く残る韓国の顔が飛び出してくる。
冒頭の2枚を見てほしい。左の老人は頭をのけぞらせて叫んでいる。カメラはあごの下まで入り込み、顔を下から見上げる。右の写真は水平線がまるごと傾き、画面の端で白い袖の手がにじみながら突き出す。何の行事なのか、どこなのか、写真は教えてくれない。その代わりに、その場の音と風が先に届く。
出発点は街だった
Lee Gap-chul は1959年に慶尚南道の陜川で生まれ、晋州で育った。1984年に新丘専門大学の写真科を卒業している。彼を巫俗や祭儀を撮る写真家としてだけ覚えているなら、半分しか知らないことになる。初期の仕事は都市の街頭にあった。
1979年から1984年まで済州を撮った《済州-1980》(제주-천구백팔십)があり、1984年には在韓米軍が出入りする通りを収めた《街のヤンキーたち》(거리의 양키들)がある。続いて、都市における人と人、人と構造物の関係を見つめた《都市のイメージ》(도시의 이미지)が生まれ、1985年から1990年にかけては、この国の不平等と疎外感を扱った《他人の土地》(타인의 땅)が続いた。自分の土地なのに他人の土地のように感じられる、その時代の空気がタイトルに込められている。
この時期の写真でも、画面はすでにまっすぐではない。人は端に引っかかって切れ、ガラスには二重三重の通りが重なる。傾いたフレームと荒れた画面は、儀礼の写真で突然生まれたスタイルではなかった。見知らぬ街の不安をつかまえる感覚が、先にあったのだ。
《衝突と反動》
1990年、Lee Gap-chul は《衝突と反動》(충돌과 반동)を始めた。伝統行事を訪ね歩き、クッ(巫俗の儀礼)や葬儀、祭祀、テボルム(旧暦1月15日の祭り)、農村共同体の儀礼を撮った。仕事は1990年代から2000年代初めまで続き、彼を代表する連作になった。
題材だけを見れば民俗の記録のようだ。だが写真は記録のように整理されていない。誰が何をしているのか一目でわかるカットはまれだ。フレームは傾き、人物は端で切れ、黒い影が画面の半分を食う。写真がつかまえたのは儀礼の手順というより、体と大地と儀礼がぶつかる瞬間の圧力に近い。ハン(恨。深く残る悲しみ)やシンミョン(神明。内から湧き上がる興)のように言葉にしにくいものが、その圧力の中から立ち上がってくる。
なぜこれほど揺れたのか
フィルムを使う人なら、これらの写真を見てまず失敗を思い浮かべるかもしれない。水平は合っておらず、ピントはあらぬところにあり、粒子は粗い。だがこのずれは、1枚や2枚の事故ではない。連作全体を通して繰り返される。
上の写真で、ピントは人の顔を外れて後ろの山に合っている。顔は形だけが残り、山ははっきりしている。情報としては逆さまの写真だ。ところがそのぼやけた顔が、かえって人ではない何かのように見えてくる。モノクロも同じ方向に働く。色を取り払うと、服の模様や空の色といった説明が抜け、光と闇のかたまりだけが残る。
うまい写真の規則は、場面をよくわからせるためにある。Lee Gap-chul の写真は、わかることを後回しにする。その間に、見る人の体が先に反応する。画面はしばしば傾き、揺れるのに、感情は不思議なほど正確に届く。
人から大地へ
《衝突と反動》のあと、Lee Gap-chul は人の儀礼から少し身を引いた。《気(氣)/ Energy》で彼は、山と風と木、大地そのものに見えない気配を探した。人がいなくなった場所にも、揺れは残る。
2019年に韓美写真美術館(Museum of Photography, Seoul)三清別館で開いた《寂寞江山-都市の兆候》(적막강산-도시 징후)では、ふたたび都市に戻った。暗く揺れる感覚が、今度は都市の兆しに向かった。2025年12月には、1979年から2000年までの仕事をあらためてまとめた《Lee Gap-chul もうひとつの風景論 1979-2000》(이갑철 다른 풍경론 1979-2000)が開かれた。
いま、あらためて見る理由
スマートフォンのカメラは水平を勝手に合わせ、ぶれを勝手に消し、暗い場所も明るく広げてくれる。鮮明な写真は、かつてないほどありふれている。だが、そうして撮った写真のうち何枚が長く記憶に残るだろうか。
Lee Gap-chul の写真は、出来事を説明するより、出来事が通り過ぎた場所の温度を残す。彼の写真で韓国的なものは、題材というより圧力に近い。説明のつかない感情が、画面の外から押し寄せ続ける。フィルムカメラを手に、水平とピントの間で迷ったことがあるなら、これらの写真の前で、その迷いを一度違うふうに考えてみる価値がある。